出世がめちゃくちゃ遅い私は劣等生のワースト記録争いをすることは間違いないと思います。
おじさんになった今、自分を振り返ってみると落ちこぼれなのはそれなりの理由があったと思います。
知り合いに言わせればこんなもんじゃ足りねぇだろ!
と言われそうですが、私みたいにならないで欲しいポイント6つ挙げてみたいと思います。
ここに分析して列挙するのは “こうあるべき”と偉そうなことを説教するのではなく、 私を振り返って恥を晒しますので、これを読んでいただける方にはさらに一歩進んでもらえるといいなと切に願っております。
①仕事が出来るとどんどん回される?!
入社当初の私はやる気満々で“なんでも吸収してやるぞ!”という意気込みで、やることなすこと全て取り込んでやるという勢いで仕事に取り組んでおりました。
当時は若かったので頭も柔らかく、業務を次々吸収していけてたと思います。
しかし、いつしか上司や先輩方が私を育てるために教えてくれているのではなく、使い勝手がいいから詰め込んでいるのでは?と思うようになってしまったのです。
(こことんでもない勘違いポイントです。)
だから、いっそのこと仕事出来ないと思われれば仕事がどんどん回ってこなくなるぞと思った時期がありました。
そうなると確かに“あいつは出来る”路線から外れて難しい仕事を回されることがなくなりますが、その代わりにつまらない仕事が回ってくるようになります。
私の中で一番すさんでいたのは三十代前半でした。
仕事をさぼっていた訳ではなく、毎日まじめに会社に通ってはいましたが、それなりにこなしているだけという状況でした。
自ら進んで“こうしてみよう”とか前向きな考えは当然ありません。
しかも若い頃に思った “仕事出来ないふりをすれば仕事が回ってこなくなる”という部分も色濃く残っていたかと思います。
続けた結果どうなったかというと…
面白くない仕事しか回ってこなくなりました。
今考えれば当然だと思います。
仕事出来ない私に花形業務が回ってくることありませんでした。
私に回って来る仕事は“どうせ出来ないんだからあいつにやらせておけよ”的な仕事しか回ってこないんです。
当時やっていた仕事は誰にでも出来る簡単なお仕事。(当時引き継いだのは入社数年しかたっていない若手社員からでした。)や、
誰がやっても結果が出ないような人が嫌がるような各所との調整ずくめの仕事です。
(今となってはそれすら経験としてやれてよかったと思っております。誰がやっても結果がでないのであれば私のような傷がついても良い人間に回ってくるのは当然かと思います。)
経験から得たこと
出来損ないの私が言うのは何ですが、仕事は出来たに越したことはないですよね。
それはなぜかというと…
いやらしい話ですが、仕事が出来るとみんなの信頼の貯金がたまっているので、それにより発言権が与えられ、自分で仕事を決めることが出来ちゃいます。
(言い換えればみんなを巻き込んで動いてもらう仕事)
たとえ面倒臭そうな仕事に当たったとしても、“こうすればいいんじゃないか?”と自分のやり方で任せてもらえるようになります。
(昔の私の様に嫌な仕事だけを人に回してしまうとそれはそれで“あいつは仕事を選りすぐりする”とさらに信頼を失います。嫌な仕事でも他人に回さず、前向きにこうすれば進むという提案をして、この人なら考えを持って対応してくれると思ってもらうことが必要です。)
そうすれば“あいつは考えている”と周りの信頼貯金も貯まって、さらに発言権を与えさせてくれるのではないかと思います。
②出来ないことが出来ないと言えない
私は若い頃から任された仕事に対して出来ないと断ることが出来ませんでした。
それは“弱音を吐いている”と思われてしまうと思っていたからです。
私が陥った入社した当初“使い勝手が良いから詰め込んでいる”と勘違いした時も、
本来はそう思う前に“今が自分の精一杯なので一旦終えてから声を掛けさせてもらってもいいですか?”
という調整が出来れば間違った方向に行かなかったかも知れません。
この“出来ない”という言葉は決して弱音ではないということに気付くのが遅かったのです。
若い頃に任せられる仕事はたいしたことがなくて出来ないが言えなくても先輩たちが応援してくれることにより挽回できます。
しかし歳を取るにつれて任される責任は大きくなりますので“出来ない”を言わないために“出来る”と思われているので、蓋を開けて出来ていなければ挽回が難しくなる度合いが大きくなっていきます。
また、若い頃に先輩や上司は仕事をわかっているので私の技量を見極めて仕事を振ってきていると信じていました。
しかし、必ずしもそうではないのです。よって自分の中で
“上司は今自分がいっぱいいっぱいであることを知りながら仕事を振ってきてるからそれなりに考慮してくれるだろう”
などと甘い考えを持って仕事を受けてしまったのならば、当然上司はそんなこと知る由もないので結果的に受けた自分の責任になって上司から“なんで先に言わないんだ!”と怒られてしまいます。
“出来ない”ということは決して罪ではなく、“出来る”と言ったにも拘わらず“出来なかった”方が大罪でした。
出来ないことは初めから出来ないと言ってしまおう
仕事をするにあたって人間関係による信頼は大切です。
余裕があるにも拘わらず“出来ない”を発動させてしまったら、相手からの信頼を失ってしまいます。
仕事を振ってきた相手から“こいつは仕事を選ぶ”と思われてしまわないためには建設的な断り方をしなければなりません。
私が当時“出来ない”を言えなかった時に後輩を見て“この子仕事のやり方うまいな”と思ったのは、
“今この仕事を抱えているのでこれが終わったら出来ます”と言っていました。
そうすると相手も今取り掛かってるものがあるんだなという判断から“無理だね”と判断してくれたり、“今取り掛かっている仕事よりもこっちを優先して下さい”という指示が出せるのです。
もしかしたら“その仕事は他の人に振るからこっちをしてください”と指示があるかもしれません。
なので言い方としては“今取り掛かっている仕事はどこまで進んでいるけどこれを抜いてもらわないとそれには取り掛かれません。”という言い方もありかと思います。
一旦受けたからには完結させないと信用の貯金を失ってしまいます。
出来ないのであれば無下に断るのではなく相手にわかってもらえるように調整することが必要でした。
③斜に構える
私はいわゆる“斜に構える”ところがありました。
同じ事務所の仲間である先輩や同僚たちを“見返してやる!”という反骨精神を持っていました。
反骨精神も力を発揮するためには重要な要素かも知れません。
でも私の場合のそれは間違った方向に進んでいたとおじさんになってから感じます。
その反骨精神はなんで持っていたのかな?
と考えると私の入った会社は昭和風情が漂う昔気質な会社なので、当時の私を若いということもあって言葉イジりだったり、新人をかわいがる風潮があったのでそんなのを受けて“今に見てろ!見返してやる!”という反骨精神が育ってしまったのかもしれません。
そんな斜に構えた私ですから当然当時の職場仲間とはうまくいっておらず、今思うと事務所の中で浮いていた時期もあったと思えます。
私自身同じ事務所の人は全員嫌いという感情まで持ち合わせていたかもしれません。
そんな感情が表に出ていたんだろうなと想像できます。
職場で浮くと仕事は当然うまくいかないのでますます出来ないやつとレッテルを貼られてしまっていたかと思います。
信頼の貯金をふやす
現在の私は信頼の貯金をふやそうとしています。
今の私の力は及ばないかも知れませんが職場の仲間を手助けになるよう心掛けています。
それは決して至らないかもしれません。
人を助けることによって信頼の貯金は少しでも溜めているイメージです。
信頼の貯金を溜めていくことは非常に重要です。
信頼の貯金を少しでも多く溜めておけば休憩していたとしても“あいつまた休憩してやがる”と“疲れたから休憩しているんだね”という真逆の印象を与えます。
(いやらしい話ですが)
そこへ行くまでに周りの人たちのために何をしてあげているか?という前段があると思います。
ここで重要なポイントは“決して見返りを求めてはいけない”ということだと思います。
そういったスケベ心があれば顔に出てしまう私はバレてしまいます!私はもっと早く顧客・上司・同僚・後輩への信頼の貯金を溜めておいた方が良かったと切実に感じております。
④最後まで想定していない
最後まで想定していない
私が足りなかったと思う重要なポイントの一つとして“最後まで完遂することを想像すること”があります。
例えば出張に行く際に、出張先の最寄りの駅はどこなのか?
とか駅からどんなルートを出れば最終目的地までいけるなとかを想像していました。
しかし、今では何出口でおりるから、何両目に乗った方がいいまで想像します。
そういった想像をしておかないと出張に一緒に行った上司に“どこ駅がいちばんいい?”と聞かれた時に“〇〇駅の〇出口が一番近いです”と答えられません。
聞かれたときに一歩踏み込んが回答が出来ます。
そういった癖をつけておかないと、出張に限らず資料を作って報告した場合とかに質問されてもあたふたした挙句最終的に“確認します”という宿題までもらってしまう恐れがあるからです。
逆にすんなり答えれば“考えてくれてる”となるからです。
昔の私は資料報告の際でもまず作るところは完成を目的として、実際の報告でもあたふたしておまけに汗びっしょりかいて“早く終われ!”って願ってやみませんでした。(最低です!)
想像力を働かせて準備する様になってからはそういった質問が来ても心の余裕が生まれます。
実例を挙げます。
・資料報告で業務量を現した数字を聞かれても何で増えているか?何で減っているかを答えられない
・新規業務を進めるにあたり進めてみるが業務のスタートからゴールまで行き当たりばったりで壁にぶつかっている
・引率として引き連れなければいけない事があったが、引率される側を考慮せず、後になってもっとこうして欲しかったと意見をもらった。
完遂までのシミュレーションをする
最後まで想定するために私がするようになったことは想像上の私に一通りシミュレーションで完遂させます。
その前には全体像を把握していないとそれも難しい事に気付きました。
出張なら当日出発するところから到着するまで、資料報告なら報告相手をイメージしつつ報告します。
すると想像上の私は出張ならどこの出口でおりるんだ?とか資料報告ではここの数字の根拠は?と聞かれている自分がいます。
それに対して免疫をつけておきます。
若い頃から当たり前に出来て当然かもしれませんが、劣等生の私はそれが出来ていなかったと思います。
それに気づいてからは面白い事にそういった人をみると“そこまで想定してなかったんだな。”と思える場面がたくさんあります。
私ももう少し早く気付くべきでした。
- 全体像を把握する
- 想像上の自分で一度シミュレーションする
⑤報連相
昔のわたし
私が昔の自分を振り返ってまずかったと思うことの一つがこの報連相です。
サラリーマンとして基本のキとも言える報告・連絡・相談です。
今では報連相を制する者は部下の立場を制するんじゃないかと思うぐらい重要かと思ってます。
なぜなら上の立場に立った時に“この部下は一体何を悩んでいるんだろう?”とか
もっとひどい場合には“この部下は何のために何を一生懸命取り組んでるんだろう?”
と感じることが一番怖いからです。
その点“私はここで迷ってます!”とか
“これを一生懸命取り組んでます!”と宣言していただいた方が気が楽だからです。
自ら宣言してもらう事によって現状把握という分析の第一歩が出来てしまうからです。
私はサプライズ気質なのか上司に依頼されたことは自分が納得して完成するまでずっと黙っている傾向がありました。
今考えると上司にとってそれはそれはとても恐ろしかったでしょう!
例えば明日期限なのに納期は間に合うのか?やそもそも進んでいるのか?すらわからないですからね。
今のわたし
今の私と言えばすっかりガラス張りです。
依頼もらったものに対して“ここまで進んでます”という報告や、
“ここまで進んでるけどこれが原因で止まってます”という連絡はもちろんのこと
“このままでは間に合わなくなります”という相談までサラッとしてしまいます。
それによって昔と比べて気持ちがまぁ楽なこと楽なこと。
いやらしい話上司に相談してしまえばボールは上司に渡ってしまいますからね。
一方私は上司側の立場としても何かと相談してくれる部下は苦労させられますが
おじさんになった性か“何かとかわいい”と思えてしまう部分もあります。
(時には今の子はこんなことで相談持ってくるんだと悩ましく思うところも正直ですが…)
私はおじさんで経験しながら慣れていったので、
この連絡はもうちょっと固まってからでいいなとか、
相談するタイミングは相手が受け入れてくれそうか?とか
この相談したらどうなるか?と相手のことも考えつつ二手先を読んだりもしています。
報連相の重要性に気付くこと自体遅かった私ですが、
怒られながらそういった経験を培って学んでいきました。
他のこと同様にバランスが肝心だと思っております。
まずは報連相を極めてみようと挑戦することが重要だと思っております。
報連相を制する者は部下の立場を制すです。
まとめ
- 仕事は自分で回した方がやりたいようにできる
- 出来ないことは初めから出来ないと言おう
- 周囲を助けて助けてもらおう
- 仕事を完遂までシミュレーションしてみよう
- 報連相はしっかりやろう
全てに共通するのは信頼の貯金を貯めること!
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