
私と同じように心が折れかけた人へ
精神的に疲れ果てて迎えた夜。それでも朝はやってくる。
心が追いつかなくても、また明日会社へ行かなきゃいけない。
長いサラリーマン生活の中で、私は何度もそんな朝を迎えました。
異動先の人間関係、直属の上司とのすれ違い、他部署との調整。
嫌なことが重なると「また一人で闘わないといけない」と思い込んでしまう。
でも本当は、そんなに強くなくていい…そう思ったんです。
この記事では、私が“自分を見失いかけた時”にどうやって立ち直ったのかを、正直に話したいと思います。
孤独との闘いは誰にも見えない 言いたくない

サラリーマンの孤独は、戦場のような静けさです。
自分の悲劇を話しても実は他の人には喜劇のように聞こえてしまうものなんです。
親身になって聞いてくれる人を選ばないと結局笑い話になって終わってしまいます。
昔そういった経験がありました。
だから次第に自分の殻に閉じこもるようになりました。
今振り返ると、あの“孤立”の原因は自分にあったこともあります。
提出物が期日までに提出できていない。
上司の指示に途中経過を報告せずに期日直前に間に合わないの打ち上げ…etc.
誰にも話さず、自分の中で〝思い悩んで〟考えていたからこそ、
そんなことにも気づかずに「自分は間違っていない」と思い込んでいました。今なら分かります。
確かに明らかに冷遇された理不尽な出来事も多々ありました。
様々な要因がある中で、もしあの頃少しでも誰かに弱音を吐けていたら、
「それは間違っているよ」と客観的意見を聞いて自分の間違いに気づけたかもしれない。
孤独は、弱さじゃなく“助けを求められないサイン”だったのです。
逃げても、立ち止まってもいい

逃げること=負け
昔の私はそう思い込んでいました。
でも、ある時期から「逃げてもいい」と考えるようになったんです。
会社に行くのがつらくて仕方ない時期がありました。
心が壊れそうで、何度も「もう無理だ」と感じた。
そんな時、私はよく“心のよりどころ”に逃げ込んでいました。
それは趣味の世界だったり、家族との時間だったり、ほんの少しの自分時間だったり。
もちろん「逃げ癖がつくんじゃないか」と思ったこともあります。
でも、今はこう思います。
「逃げる」と「責任から逃げる」は違う。
自分の心を守るために立ち止まるのは、
むしろ勇気のある行動です。
逆に、仕事の失敗を誰かのせいにして逃げる―それが“悪い逃げ”です。
(※参考:厚生労働省の「職場のメンタルヘルス調査」(2025年)では、
20〜30代の約6割が「仕事でのストレスから一時的に逃げたいと思った経験がある」と回答。
そのうち7割が「結果的に冷静になれた」と答えています。
逃げは、再出発のためのリセットでもあるのです。)
心が折れたあとに見えた景色
思い悩んだ時期に精神的に追い詰めらていたため
私の家族が私のことを想って手を差し伸べてくれた時がありました。
そんなとき、私は一番大切な家族に暴言を吐いてしまったことがあります。
「どうしてこんな自分になったんだろう」と何もかも投げ出したくなったことを覚えています。
その瞬間、気づきました。私を責めているのは他人じゃなく、自分自身だった。
だから、まずは“自分を許す”ところからやり直そうと決めました。
無理しなくてもいい。
できない日があってもいい。
頑張り続けられない自分を責める必要なんてない。
あの日から、私は「明日を信じる練習」を少しずつ始めました。
そして、どんな形でもいいから“前を向く”と決めた。
その決意が、折れた心をつなぎ直してくれたんです。
あなたは、ひとりじゃない

もし今、会社に行くのがつらいなら―
無理をしなくていいです。
私も同じように、何度も逃げて、迷って、泣いてきました。
でもそのたびに思ったんです。
「同じように闘っている人が、どこかにいるはずだ」と。
だから、あなたもひとりじゃありません。
この世界には、あなたを理解してくれる誰かが必ずいます。
そして何より、自分自身が自分を見捨てない限り、物語は終わりません。
落ちこぼれだと思っていた私でも、“逃げ場所”を作りながら、こうして生きています。
だからどうか―
今日も、自分を責めないでください。
小さな一歩でいい。
あなたが歩き出したその先に、きっと新しい朝が待っています。


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